延喜式比定社 七本木神社
しちほんぎじんじゃ
鎮座地
上里町七本木3237番地
(大字七本木字本郷上)
祭神
- 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
配祀神
- 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
- 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
- 稚産霊神(わくむすびのかみ)
- 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
- 比賣大神(ひめおおかみ)
- 気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)
- 湯彦友命(ゆひことものみこと)
- 埴山姫命(はにやまひめのみこと)
- 迦具土命(かぐつちのみこと)
- 白山姫命(しらやまひめのみこと)
- 大山祗命(おおやまつみのみこと)
- 石長姫命(いわながひめのみこと)
- 大物主命(おおものぬしのみこと)
- 建御名方命(たけみなかたのみこと)
- 菊理媛命(きくりひめのみこと)
- 伊弉諾尊(いざなみのみこと)
- 伊弉冉尊(いざなぎのみこと)
一間社流造りの当社本殿には、弓矢を手に持つ八幡大明神座像が厨子に納めて奉安されている。このほか当社に合祀された数基の幣芯が納められており、このうち榛名神社から遷された幣芯には「今木青八坂稲実池上神社」と墨書されている。
由緒
天正年間(1573-92)に金窪城より移住した金井筑前守政綱が武運守護の大神として勧請し、代々崇敬してきた。現在の社殿は江戸時代に再築されたもので、長く「八幡神社」(祭神 誉田別尊)と称し、当地の鎮守であった。後に村内の稲荷神社(祭神 倉稲魂命)と天神社(祭神 菅原道真公)の老朽化により、当社に合祀した。
明治5年村社となる。
明治42年に村内字本郷原鎮座の村社榛名神社(祭神 波迩山比売命)、字愛宕鎮座の村社愛宕神社(祭神 火産霊命)、同社境内社稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、字本郷南鎮座の村社白岩神社(祭神不詳)、字稲荷東鎮座の村社稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、字四ッ谷鎮座の村社稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、同社境内社琴平神社(祭神 大国主命)、同菅原神社(祭神 菅原道真公)、字窪八幡東鎮座の村社八幡神社(祭神 誉田別尊)、同社境内社琴平神社(祭神 大国主命)、同諏訪神社(祭神 建御名方命)、同愛宕神社(祭神 火産霊命)、同天神社(祭神 菅原道真公)、字三軒鎮座の村社八幡神社(祭神 誉田別尊)、同社境内社稲荷神社(祭神 倉稲魂命)、同白山神社(祭神 伊弉冉尊、菊理姫命)、同天神社(祭神 菅原道真公)、同琴平神社(祭神 大国主命)、同愛宕神社(祭神 火産霊命)を当社に合祀し、社名を七本木神社と改めた。この7社の旧本殿は空宮となっているが、当社本殿東の建物内に納められている。この7社のうちの榛名神社は、延喜式内武蔵国賀美郡今城三社合祀の社であるとも言われている。
中には宝永5年(1708)銘の稲荷大明神棟札、元文5年(1740)銘の八幡宮棟札、寛政11年(1799)銘の正一位稲荷大明神白幣が納められている。
祭日
- 1月1日 元旦祭
- 2月11日 建国祭
- 4月3日 祈年祭
- 7月中の土、日曜日(日にちは話し合いにより決められる) 八坂神社祭(祇園・天王祭)
- 10月19日 秋祭り
- 11月23日 新嘗祭
八坂神社祭は「祇園」とか「天王祭」と称され、古くから疫病を祓い、五穀豊穣を祈る獅子舞が奉納される。これは、祭りの一ヶ月ほど前から金井家で練習が行われ、以前は長男に限っていたものであるが、近年は女子も参加するようになった。太平洋戦争中は一時中断されたが、青年会有志によって継承されてきたものである。昭和51年には「獅子舞保存会」が結成され、氏子中の寄進により獅子頭や用具の新調、修理が行われている。
7月中の日曜日(以前は7月15日)の午前中に、造り花で飾られた境内社八坂神社(石宮)前で祭典が行われ、境内で獅子舞が舞われる。そのご、社務所で昼食休憩の後、悪魔祓いのために村巡りを行う。境内には、子供会のバザーや金魚すくいを行うためのテントがいくつも張られ、近年にぎやかになってきた。昭和40年頃までは6月の祭りであったが、田植えで忙しい時期でもあり、月遅れとなった。当日塞神札や人形代(ひとかたしろ)を各戸に配布する。
秋祭りも昭和40年頃までは11月3日に行われていたが、稲刈りの時期でもあり、10月19日となった。
境内神社
当社の境内神社はすべて本殿に神社に合祀されたものの、現在も境内にはいくつかの石宮が残っている。
社日様
祭神 天照皇大神・少彦名命・大己貴命・倉稲魂命・埴安媛命
諏訪神社
祭神 素戔嗚尊
石祠
祭神・由緒 不詳
七本木神社の庚申塚
当社の鳥居をくぐった右側には庚申塚(こうしんづか)がある。「お庚申さま」と呼ばれており、本郷の愛宕塚から移されたものである。98基の庚申塔が建てられており、最も古い庚申塔は享保16年(1731)の青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)である。
庚申(こうしん・かのえさる)は干支の組み合わせにより、日数で60日に一度、年数で60年に一度巡ってくる。庚申にあたる日の夜に寝ると、体内から三戸(さんし)という虫が抜け出て、天帝にその人の悪い行いを告げて寿命を縮めると信じられていた。このため、何軒かが一組になって講を組み、庚申の日の夜に集まり青面金剛や猿田彦の掛け軸を掛けて拝んだ。この夜は寝ないで夜明けまで酒食をしながら世間話や農作物の話をして一夜を過ごしたという。