延喜式比定社 久保皇大神社
えんぎしきひていしゃ くぼこうだいじんじゃ(しんめいさま)
鎮座地
上里町長浜494番地
(大字長浜字神田・長浜久保)
祭神
- 大日女貴命(おおひるめむちのみこと)
由緒
勧請年代不詳。
江戸時代には「神明社」と称していた。
口碑によれば、かつて当社地に稲荷社があったが、いつのころか長浜下郷の長幡部神社に合祀され、その跡地に祀られたのが当社であるという。また、当社の西に神田(じんでん)と呼ばれる一町歩余りの田があり、昔は稲荷社に献上する稲を栽培していたともいう。一説にこの稲荷社が『延喜式』神名帳に載る今城青坂稲実神社であったともいわれるが、明らかではない。
明治5年に長浜村村社となり、社号を「皇大神社」と改めた。明治22年に長浜村は長幡村の大字となり、明治41年11月、当社は長幡村村社長幡部神社に合祀された。しかし、社地や社殿などの建造物はそのまま残され、戦後になり、再び当地に遷座した。
祭日
- 2月初午 初午祭
- 3月19日 春祭り
- 7月15日 天王様
- 9月27日 お諏訪様
- 10月19日 秋祭り
祭典には区長、隣組長、総代らの参列の下で奉仕され、その後隣接する久保地区集会所で簡単な直会が行われる。
古くは秋祭りがにぎわう祭りであった。前日の夕刻に小学生の男子が布団を拝殿の中に持ち込み、「お籠もり」と称して泊まり込んだ。昔は電灯もなかったので、暗くなると皆すぐに布団にもぐり込んで寝入ったため、夜半には目を覚ましてしまった。起きると一同で「おこわ持ってこい」と大声を張り上げながら、拝殿にある太鼓を叩いた。氏子の間では、この日少しでも早くお参りすると御利益があるといわれ、子供たちの声が響き渡る夜中の12時を過ぎると、銘々で赤飯を重箱に詰めて参拝し、神前に供えるのが習わしであった。しかし、昭和13年に「風紀上よくない」という学校側の指導により中止された。
境内神社
当社の境内神社はすべて明治41年11月に長幡部神社に合祀されたものの、現在も当社社地に社殿が祀られている。
稲荷神社
祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
諏訪神社
祭神 建南方命(たけみなかたのみこと)
疱瘡神社
祭神 大禍津日命(おおまがつひのみこと)
天神社
祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
八坂神社
祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)