延喜式比定社 熊野神社
くまのじんじゃ
鎮座地
上里町堤1204番地
(大字堤字後東堤)
堤は、江戸時代の初期までに開発された村で、正保2年(1645)の「国絵図」によれば、当時の村高は379石、家数は36件であったという。しかし現在では、国道17号線や254号線、JR高崎線の神保原駅にも近く、交通の便がよいため、宅地化が急速に進みつつあり、今では300軒を超える。
当地は神流川左岸に位置する農業地域で、かつては養蚕が盛んであったが、戦後は野菜栽培や酪農、特産物の梨などの果樹栽培などが盛んになってきている。
主祭神
- 奇御木野命(くしみけぬのみこと)
- 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
- 豊受姫命(とようけひめのみこと)
- 大物主命(おおものぬしのみこと)
- 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
- 外十七柱
由緒
勧請年月不詳ではあるが、延長4年(926)の『延喜式』神名帳では武蔵国四十四社、賀美郡四社のうちの一社「今木青坂稲実荒御魂神社(いまきあおさかいなみのあらみたまじんじゃ)」であるといわれてきた。地内には平安時代の住居跡があり、当社も東堤古墳群に属する墳丘上に鎮座していることから、当社が勧請される以前にもこの地に「今木青坂稲実荒御魂神社」があったと考えられる。社殿は宝暦年間(1751-64)に改築されたとの記録がある。
江戸時代には東昌院が別当として当社の年中行事職を務めていたが、神仏分離によって廃寺となった。明治43年に地内の神社8社、境内社5社を当社に合祀し、祭神が増加した。
祭日
- 4月3日(春祭り)
- 7月第2日曜日(大祓式)
- 10月19日(秋祭り・例大祭)
- 12月9日(新嘗祭)
- 12月29日(お焚き上げ)
農業地域という地域の性格を反映し、春祭りは五穀豊穣・氏子安泰を願う祭り、秋祭り(例大祭)は五穀豊穣を感謝する祭りとなっている。いずれも、祭り当番が早朝に幟を立てて準備し、総代・祭り当番のほか自治会役員や各字の班長など30名あまりが参列して祭典を行い、御神酒を頂いて解散する程度で、神社に神楽殿もなかったため、昔から神楽や芝居といったにぎやかなことはしてこなかった。
大祓式は神職が氏子の無病息災を祈って式典を行い、人形(ひとがた)に移した災厄を祓うほか、子供会育成会や地元の消防団が協力して模擬店や子供御輿の渡御を行う。御輿は午前11時ごろ神社を出発し、東堤-堀の内-丹蔵-石倉-田中-岡の順に地内を回り、午後2時頃神社に戻る。
境内神社
境内神社はすべて本社に合祀されてはいるものの、本殿裏手の塚には石祠がある。
琴平神社
八幡神社
- 祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
- 文化年間(1804-18)の創立
稲荷神社
- 祭神 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
- 文政年間(1818-30)の創立
菅原神社
- 祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
疱痘神社