金窪神社
かなくぼじんじゃ(はちまんさま)
鎮座地
上里町金久保1053番地
(大字金久保字稲荷西)
主祭神
- 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
- 外 十柱
由緒
当社の創建は大永5年(1525)に金窪城主の斎藤盛光が鎌倉の鶴岡八幡宮を城内に勧請したことに始まり、武運守護の神として斎藤氏の崇敬を受けてきたが、天正10年(1582)の神流川の合戦で斎藤氏が敗れて後は、村民が村の鎮守として祀るようになったという。
口碑によれば、元和年間(1615-24)に中山道の開通によって現在地に遷座されたと伝えられ、金窪城跡の300メートルほど東にある旧地は「元八幡」と呼ばれている。
江戸時代には天台宗の長命寺が別当であったが、神仏分離によってその管理を離れた。長命寺は廃寺となり、現在は堂の痕跡はないが、当社のすぐ北東にあったという。
明治5年村社に列し、その後明治41年に字松原の菅根神社を当社境内に移転、同44年には字西金の村社丹生神社とその境内社3社、大字内の7社の計11社を合祀。この合祀を機に社号を「八幡神社」から「金窪神社」に改めた。
祭日
- 3月15日 祈年祭
- 7月18日 大祓式
- 10月15日に近い日曜日 例大祭
- 11月29日 新嘗祭
- 12月20日 手長祭・古峰神社祭・大祓式
最もにぎわうのは秋祭りで、上里町指定文化財になっている獅子舞が出ることで近在にもよく知られている。獅子舞の起源は不明であるが、古くから行われているもので、金窪城主斉藤定盛の娘の満寿姫も幼少の頃から大いにこれを好み、元亀3年(1572)に上野国へ嫁いだ際には、獅子舞の一行が輿入れの先導を務めたという。しかし、この姫は、神流川の合戦で夫と生みの親とが敵味方に分かれて戦わなければならなくなったのをはかなみ、榛名山に登り、湖に入水して竜神になったとされる。そのためか、当地では古くから榛名講があり、毎年8月27、28日ごろ代参を送っている。
境内神社
火産霊神社(ほむすびじんじゃ)
- 祭神 迦具土神(かぐつちのかみ)
- 由緒 不詳
北野神社
- 祭神 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
- 由緒 不詳
手長男神社(てながおじんじゃ)
- 祭神 天手力雄命(たぢからおのみこと)
- 由緒 不詳。
菅根神社(すがねじんじゃ)
- 祭神 菅原道真公
- 由緒 明治41年5月1日に金窪村字松原鎮座の菅根神社を当社境内神社として移転。