上里町の神社

こちらのページでは上里町内に鎮座する神社の御祭神・由緒・境内神社等を写真入りで紹介します。
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丹生神社

たんしょうじんじゃ

鎮座地

上里町勅使河原1368番地
(大字勅使河原字宮本)
  
 勅使河原は、武蔵七党の丹党に属した勅使河原氏の名字の地とされる。丹党系図によれば、丹党の祖とされる武信から7代目の子息直時が勅使河原氏を称しており、また、長野勅使河原系図にも、承保2年(1075)4月2日に「卜地同国加美郡勅使河原邑移居、則以地名為家号」とあるところから、平安時代の末期には勅使河原氏がこの地に住していたことがわかる。当社は、この勅使河原の鎮守である。
 

主祭神

 埴山毘賣命(はにやまひめのみこと)
 

配祀神

家都御子神(けつみこのかみ)

熊野久須美命(くまのくすびのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

大日孁貴(おおひるめのむち)

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
 
神階扁額
 
神門

由緒

 
  古老の口碑によれば、当社は応永年間(1394ー1426)に神流川の辺に創立されたが、その後、出水で社地が流失したため、元禄2年(1689)に現在の地に遷座したという。当社には、元禄16年(1703)記の幣束が現存する。
 亨保6年(1721)に神階正一位を授けられ、当時の扁額が今に伝わる。また、宝暦12年(1762)に社殿が建立された際の棟札についての記録が残っている。寛政年間(1789ー1801)より明治の神仏分離が行われるまで、当社の西隣にあった当山派修験の文殊院が別当として当社の祭祀を行ってきた。文殊院は、大御堂の法蔵寺の配下にあった寺である。明治5年、村社に列する。同42年、政府の合祀政策に従って、字天神の村社菅原神社、字熊野の村社熊野神社を当社に合祀、同45年、字原西の無格社伊勢大神社、字社宮司の無格社社宮司神社が合祀された。
 

 
鳥居(旧) ・ 社殿(旧)

祭日

  • 1月1日(歳旦祭)
  • 3月15日(春祭り)
  • 7月13日(大祓)
  • 10月20日(秋祭り)
  • 11月25日(新嘗祭)

 
  古くから、春祭りには忍保の神楽、秋祭りには地元の獅子連による獅子舞が奉納されるのが例であった。秋祭りでは村回りもあり、幣束・天狗・カンカチ・笛・獅子の順で行列を組み、当社を出発して天神―勝場ー原ー堀込と回って当社に戻ってきた。しかた、両者共に後継者不足から、神楽は昭和30年頃、獅子舞は平成2年に中止となった。
 

 
鳥居・社殿

境内神社

八坂神社

祭神 須佐之男命(すさのおのみこと)
由緒 不詳。明治42年字天神の村社菅原神社境内社八坂神社、同43年字原の無格社雷電神社境内社八坂神社、明治45年字勝場の無格社八坂神社を本社へ合祀。
 

雷電神社

祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)
由緒 不詳。明治43年字原の無格社雷電神社を本社へ合祀。同社は現在も旧地に社殿が残っている。
 

稲荷神社

祭神 宇氣母智神(うけもちのかみ)
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
由緒 不詳。明治42年字熊野の村社熊野神社境内社稲荷神社、字天神の村社菅原神社境内社稲荷神社を、また、同43年字原の無格社雷電神社境内社稲荷神社を本社へ合祀。
 

愛宕神社

祭神 迦具土命(かぐつちのみこと)
由緒 不詳。明治43年字原の無格社雷電神社境内社愛宕神社を、また、同45年字久保無格社愛宕神社を本社へ合祀。
 

秋葉神社

祭神 火産霊命(ほむすびのみこと)
   河菜姫命(かわなひめのみこと)
由緒 不詳。明治42年字熊野の村社熊野神社境内社秋葉神社を本社へ合祀。
 

菅原神社

祭神 菅原神社(すがわらのみちざねこう)
由緒 不詳。明治42年字熊野の村社熊野神社境内社菅原神社を、同43年字原の無格社雷電神社境内社菅原神社を、また、同45年字勝場の無格社菅原神社を本社へ合祀。
 

疱瘡神社

祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
由緒 不詳。