上里町の神社

こちらのページでは上里町内に鎮座する神社の御祭神・由緒・境内神社等を写真入りで紹介します。
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石神社

せきじんじゃ

鎮座地

上里町神保原町965番地
(石神字北長塚)
 
  

主祭神

 

  • 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
  • 神皇産霊神(かみむすびのかみ)
  • 大己貴命(おおなむちのみこと)
  • 少彦名命(すくなひこなのみこと)
  • 建御名方命(たけみなかたのみこと)
  
 

由緒

 
  当地は中世の石神郷である。烏川(からすがわ)から引き揚げた石剣(石棒)を祀って鎮守としたことによる地名である。全国の石神の総社とされ、日本総社石神大明神と称す。一般にこのような石棒は、縄文時代中期に関東、中部地方を中心に発達した古代の石神信仰の信仰物であると考えられている。
 主祭神は高皇産霊神、神皇産霊神であり、大己貴命、少彦名命が配祀されている。
元弘3年(1333)に新田義貞が上州より鎌倉に攻め上がる際、戦勝を祈願し、以来この鎮守の森を「勝の森」と称するようになったという。境内には「勝乃森」記念碑がある。また、天正10年(1582)に北条氏邦・氏直と滝川一益が戦った「神流川の合戦」の際、氏直が参詣して戦勝祈願したとも伝えられる。
 社殿は元禄16年(1703)9月に再建され、当時の棟札は現存している。もともと別当照蓮寺持であったが、明治初期に神職の受け持ちとなった。昭和2年9月拝殿が改築、幣殿が新築された。昭和38年11月、不審火により社殿を全焼したが、御神体の石棒は難を逃れた。しかし、2か所にひびが入っているため、鉄棒で固定されている。現在の社殿は昭和45年に再建されたものである。
 

 
鳥居 ・ 「勝乃森」記念碑

祭日

 
 

  • 1月1日(歳旦祭)
  • 2月18日(祈年祭・柿ノ木稲荷神社祭)
  • 4月3日(春祭り・春季敬老感謝祭)
  • 7月14日(富士浅間神社祭)
  • 7月26日(夏越大祓)
  • 9月15日(秋季敬老感謝祭)
  • 11月2日(例祭前夜祭)
  • 11月3日(例祭)
  • 11月30日(新嘗祭・勝盛神社祭)
  • 12月20日(師走大祓)
  • 12月31日(越年祭)

 
 大晦日の越年祭と元旦の歳旦祭は連続して行われ、参詣者に神社役員が新年初祈祷の御札と福袋を配る。
 4月3日の春季敬老感謝祭及び9月15日の秋季敬老感謝祭は、昭和40年から行われるようになり、地元老人会の長生会の役員をはじめとする会員が参列し、長寿を祝い身体健康を祈願する祭りである。
 夏越大祓師走大祓には人形(ひとがた)を川に流し、氏子の罪穢(つみけがれ)を祓い清め、防ぎ札を村境5か所に立てる習わしとなっている。しかし、平成9年からは川の汚染、環境問題を考慮し、人形を焼納するようになった。 
 

境内神社

八坂神社

祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
   菊理媛命(くくりひめのみこと)
   菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
   日本武尊(やまとたけるのみこと)
境内社の白鳥明神社、天王社及び村内の天王社1社、稲荷社3社、白山社1社が合祀されている。

 

磯崎社

祭神 大巳貴命(おおなむちのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)
由緒 石体二座の背面に嘉応元年(1169)7月銘があり、元来養善寺の薬師堂で、神仏分離の際に磯崎社に改称した。

 

勝盛神社

 
祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
   豊受姫命(とようけひめのみこと)
   火雷神(ほのいかづちのかみ)
   大物主命(おおものぬしのみこと)
 
 明治40年8月に字柿ノ木の三社神社、字中浦の琴平神社を合祀し、「勝の森」にちなんで勝盛神社として、天手長雄社・稲荷社・琴平社を祀っている。
 2月18日は柿木稲荷社祭で、字柿ノ木に祀られる稲荷神社の祭典として、五穀豊穣を祈念し、大正時代には相撲大会が催されていた。
 11月30日は勝盛神社祭で、石神社の新嘗祭に続いて行われる。特に火防・盗賊除けの祈願が行われ、天手長雄神社の御札が配られる。

富士浅間神社

 
祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
   別雷命(わけいかづちのみこと)
   日本武尊(やまとたけるのみこと)
 
 明治40年8月に字東台に祀られていた社を境内社として移転したものである。
 7月14日は富士浅間神社祭で、「村回り」が行われる。村境の浅間山古墳に祀られている「元宮」と呼ばれる富士浅間神社の小祠の前で祭典を行い、猿田彦を先頭に太鼓を叩きながら石神社まで巡行が行われる。その後境内神社で祭典を行い、悪疫退散・村内安全を祈る。